昭和42年06月15日 朝の御理解
木や竹は折れる。神を杖につけば楽じゃと。神を杖につけば楽と仰る。楽でないならば、神を杖についてない証拠。心配であったり、不安であったり、いらいら、もやもやがあったり、腹が立ったりしておる時には、もうすでに神を杖についていないという事を、私は思わなければいけないと思うね。神を杖につけば楽と仰るんです。そこで私共は、いつも神様を頂いておる。
しかもそれは、生き生きとした、神様でなからなければならんけれども、いつも神様を頂いておるという事が大事なんです。昨夜の御祈念に、椛目の宮崎さんの奥さんが参ってきておられた。最近は主人と、仕事を手分けをしてから、毎日御用をさせてもらいよりますと。主人は田の方のもう田植えの準備があるとでございましょう。私は毎日山のほうへ草取りに参ります。
爺さんが山にではなくて、ばばさんが山にち言うとこでと言うて笑うておられますけれども、もうそれが先生もうこの頃山に登るのがね、楽しゅうなりましたと一人でね。山の中でみかんの下か柿の下かでございましょうね。まあ草を取りながら楽しみだと。いや山に一人登るのが楽しゅうなった。けれども私はまあずっとその心の中に神様を頂く。神様といつもずっとお話し合いをする。
ずっともうああして椛目時代から、あのうこちらがですね、御神縁を頂いてからおかげを頂いて、今日までのことを色々思うとも大変な、言うならおかげを受けておる。そのおかげを受けておることをです。そのおかげ話をですね、一人で一生懸命お話をする。まそれを誰かがこう聞いておって下さるようにしてそのお話をする。も先生ほんと何時これだけの草を取ったか、いつ時間がたったか覚えん位にございますと。
もうこの頃はそのま単車に乗り習いよりなさいますから、単車に乗ったり自転車に乗ったりしながら、お話合いでもして行きよっとやっぱり危ないですからね、ですからやっぱそういうそのひと時がいるようですね。静かに神様といわばお話し合いをするような時が。ね。例えていうなら中村さんなら中村さんが店番をしとりなさる。あれやらこれやら片付けて後は店番。そん店番どんしとりなはっ時なら良かですね。
おかげを受けられた事を一生懸命。まあ中村さんあぁた一人で何事言いよりなさっですかと。これはまあうっかりしとっても良いですよね店番じゃから。何時時間がたったやら、ね。何時これだけの仕事が出来たか分からんくらいに、それがこの頃山に登るのがですね、楽しゅうなってきた。神様とお話し合いをしておるような気持ち。思うて見ると何年間の間にもう本当に様々なおかげを受けてきた。
そのおかげをおかげ話をですたい、自分の心の中にまとめてそれば言葉に出してから話す。だぁれも聞きよらんですね山ん中でから。私はそれはほんとにあの良い一つの、まアイデアだと思うですね。信心をさせて頂いておる者が、いつも神様と共にある。いわゆる、我神と共にあるとこういう事。同行二人という。いつも神様と二人連れだという。いつでも、お話かければ。
いつでも神様がそれを聴いておって下さる。おかげを頂いたことをいわゆる、再現する。何年前に頂いた、あのおかげの事を、思いよると、それが有り難うなってきて、何時これだけの草を取ったか、いつ時間がたったか覚えんように仕事がはかゆきますと。しかも、だぁれも、話し相手がない山ん中で、ほんとにあの、寂しかったり、いわば、退屈したりするところでございましょうけれども。
反対にそれが楽しい、だぁれも邪魔しない。ですから、また明くる日が楽しゅうなってくる。私共は、そういうような、この、生活、ね。そこから、私は、金の杖をつけば曲がる、木や竹は折れる、神を杖につけば楽じゃというのは、そういうような事でもあろうかと思う。心が楽だという事はです、仕事が楽だという事になるのですよ。
いや仕事が楽しゅうなってくるという事なんですよ。ね。信心が楽しゅうなってくる。そういう信心生活、同行二人同行二人と。神われと共にありと。ね。そういう信心がです、いわゆる具体的に言うたら、そういうような事ではなかろうかと、こう思う。いつも神様とお話し合いをしておる。ね。皆さん日々がそういう一日でありたいと思うですね。
どうぞ。